1年
5月頭から、1年前をふと思い出して、最近カウントダウンをしてる。
6月になればもうすぐ、父の命日が来る。
1年前のこの日は、私は何をしていただろうかとか、何故一度倒れたときに、会いに行かなかったのかなとか。
やり直せるならどうしたいのだろうとか。
最近やっと自己開示ができるようになってきたから、普通に聞かれたらたぶん割と話せるようにはなったけど、私は父のことが本当は憎くて大嫌いだけど、同時に好きでもあった。
でもその好きは「親だから」という生物学的な刷り込みとかそういうものに近いのかもしれない。
聞かれたら話せるけど、今は端折ってしまうと父は割と「ろくでもない」部類な人間だったと私は思う。別に身体的や性的な虐待は一切されてないし、父は私を一番心配し溺愛していた、らしい。でも私からしたら、世間一般の父親とはかけ離れて嫌だった。
こちらがやめてほしいことはやめてくれなかった。
だから死ぬほど嫌いだった。やめてほしいことをやめてくれない人が「大切」だの「好き」だの、言葉じゃなくて行動で示せよ、と。
最後まで私は父と素直に向き合うことが出来なかった。
失ってはじめて気づくことはたくさんある。いつかは言ってやろうと思ってたこと。本当はあなたのそういうとこ嫌だったから直して欲しかったのだと、ぶつかってやろうと。それが言えたら、私と父の関係もいつか全うになるのかもと思ってた。
でもそうしていびつな形で先延ばしにしてるうちに、もう一生言えなくなった。
父は死んだら絶対私に会いに来る、夢のなかとか、と思ってたけど、ほぼない。
1度だけ「肉じゃが美味しかったよ」と夢に出てきた。私あなたに肉じゃが作ったことない、それどこの女?と。
どれだけ血が繋がってようが思おうが、望めば幽霊になってでも対話できるかとか、なかった。それ、マンガだけ。
死ぬって、昨日まで生きてた人が居なくなって、もう電話もこなくて、存在が無くなるって、こうなんだ。本当に世界は毎日回るけど、その人だけがもう居ない。
だから未だにお墓や仏壇に手を合わせに行くのが怖い。冬に帰ったときは、お墓のまえから、しばらく動けなくなってしまった。1人で行った。母の前でも父に対する思いは出したくなかったから。
離れて父の思い出を共有する人がいなくて話題にすら出さなければ実感せずに忘れていられるから。もう居ないということ。だから1年間、平気そうに生きてるのだと思うし、そんな自分が薄情だとも思う。
ぶつけてやりたかった言葉も、本当はもっと、かけたかった、優しい言葉とかも、行き場がない。
やり直せるなら、1年前の今日でも明日でも会いに行って、話したい。何を話したいのかわからないけど、生きてた時の顔が見たい。会いたい。もう話せなくていいから、遠巻きでもいいから一目見たい。
今は1年経って、私が父を思う気持ちは、こんな形になってしまったけど、父が居なくなって初めて形になったのだと、少しずつ思えるようになった。
だからよく言われる、
明日何があるかわからないから、大切な人には後悔せずに気持ちを伝える。とかいうやつ。
たくさんの人にとってそうであればいいと思うし、人生に後悔は少ない方が絶対にいい。でももし間に合わなくても、間違いでも何でもないんだと、その時の自分にはそうしか選べなかったんだと思ってほしい。
あの日大嫌いで心底憎かった父のために朝まで泣き腫らして新幹線でも電車でもグズグズ泣いて怪しい女だった。1週間寝られなくなって火葬場で泣き崩れてしばらくは毎日ボロボロ泣いて。嫌いな人のくせにあんだけ泣ける自分って、素直じゃなさ過ぎてバカだなって思うけど、ちゃんと「娘」で良かった。一応父の娘だった。
母に対する気持ちは今は頑張って消化中。
もう後悔は少ない方がいいから、頑張って間に合わせたい。
聖母になろうとして腕を一つ持っていかれそうになる話。
突然だが私は「鋼の錬金術師」という漫画が大好きだ。今はアラサーの私、オタクとしてはもう30年生とちょっとくらいの歴戦の猛者。
オタクとしての素質は小6くらいに、友人から紹介された、いにしえの女オタクなら誰しもが一度は門を叩いたはずの「最遊記」をかわきりに、こうして立派に2次元と愛着関係を結びすくすく育ってきた。(BLは好まないが、否定はしないし共存はできる)
その頃何かと新しい面白い漫画を見つけて教えてくれる、開拓者の友人がいて、「アメリカ大陸もこの子が見つけたんじゃないか…?」くらいなんでも見つけてくるから、もう憧れだったし、私も何か自分で新しい漫画を見つけて古参ぶりたいと躍起になっていた。
そんななか月刊誌で友人の仲間うちではあまり人気の無かったガンガンを買っていた私。ある月のガンガンにて衝撃の作品の第一話に出会う。それが鋼の錬金術師。胸張って古参といえるのはこれくらいだと思う。
今なお年1で読み返すほどに好きだ
本当に好きならもっと読み返せよと思うかもだが、
我が家の鋼の錬金術師、3巻~9巻が15年くらい前から行方不明。
誰に貸して帰ってきてないか、わからない笑。
何度読んでもニーナがキメラにされてスカーに殺されて、どどどどしんどいところからいきなり10巻にとんでヒューズさんが殺されてる。どどどどしんどいの飛び級。メンタルブレイクのエリート街道。
これは高校時代の友人たちに聞いても、皆身に覚えはないというし、ひとつ心当たりがあるならば、ある日高校に変質者が忍び込む事件があった。
女子のロッカーに入っていた制汗スプレーを盗み、洗濯されていないであろういつから置き去りにされたかわからない体操着をテイスティング·フィッティングしたのか、裏返しにし、廊下に散乱させ、私たちの青春の1ページに不快な伝説を残した変質者に、盗まれたとしか考えられない。15年くらい前からそう思っている。
しかし腐っても一応特進クラス在籍で、漫画を持って来ていたとか授業中にみんなでおすすめの漫画を回し読みしていたとかを、白状するに等しい被害報告をする事が、大好きで尊敬し敬愛し部活の顧問でもある恩師にどうしてもできなかった。(回し読みされる漫画はあさきゆめみしやぬ~べ~、クッキングパパなど、ジャンルは何とも幅広く個性の爆心地だった。)
ティーンエージャーだって身の保身をするのである。
それが生きるすべ。こうして3巻から9巻という尊い犠牲と痛みを払いながら大人に近づいた。
後日変質者は逮捕されたと新聞で見た気がする。
という長い前置きはさておき、何が言いたいかというと、大好きな鋼の錬金術師にあやかり、大体何かしらメンタルやフィジカルにダメージを受けた際に、体の部分を指し、
「〇〇を持っていかれた」と未だ表現する事が大好きだという話である。
色々あって、色々な部分は今後書き連ねられたら良いが、昔は両手に鉤爪つけたバルログみたいに触れるものを傷つけていたでろう(バルログはもはや意図的に傷つけてる。武器だし)荒んでいた私も、最近はかなり穏やかで落ち着いた性格になった。あれ?もうすぐ死ぬ?
いつぞやからカナダ在住の親友と月1くらいでテレビ通話をしていて、これが私の人生のセラピーみたいになっていて、本当に本当に救われている。ありがとうマイベストフレンド···
そんな私も色々あり最近は生きとし生けるもの全てに愛を注ぐんか?ってくらいのグレートマザー的なちょっと不気味なムーヴをかましていたが、何せ人間6年生くらいの人間が、いきなり聖母ムーヴという究極進化を無理矢理にしようとしているのである。
最近ちと辛いことがあり、周りの人には『大丈夫!マツケンサンバII聴けば、世界中探してもこれ以上おかしい事はないから元気出るし!はい喜んで!みんなhappy!ジャンボリミッキー!!!』って乙女の精一杯の強がりを見せていたけど、
やっぱり私はグレートマザーにもビッグマムにも簡単にはなれない。マイベストフレンドにSOSを求めてしくしく泣いた。
マイベストフレンドはそんな私に『そんな簡単に聖母になれたら反動がえらいことになるで。ちょっとずつでええやん。ほしめぇの成長をちゃんと感じるよ』と
言ってくれ。
そっちが聖母か??と泣いた。
そうだよね、人間6年生だからいきなり聖母ムーヴしたら腕くらい持っていかれるよね!等価交換等価交換☆!!
って元気を貰った。という話。
これがしたかった。マイベストフレンドのすごい話をしたかったんだ。脇道が長すぎたな。
何が言いたいかというと、なりたい自分になるために今までの自分をいきなり消し去ることはできなくて、1つの事象に感じる感情は一つではなくて、そのどれもが自分だよね。蓋をして無理するのはやめよう、覚悟は呪いみたいに硬いものじゃなく、柔らかく、優しく、あたたかくて、穏やかに朗らかに、花開くものにしよう、って思えた。
なので私はグレートマザーでもビッグマムでもなく第1歩は花のような人になろうと思える。自分を枯らさないよう、大した力はなくても小さなものでも、周りの人にあたたかさや優しさを感じてもらえるような。穏やかで、朗らかな。
そう、はなかっぱを目指すことにしたのだ。